不安感とか焦燥とか。映画「眠り姫」を観た話。

時系列的に優先させたいものは他にもあるんですけど…今日は…今日はこれを書かせて…!

遡ること6年。
サブカル系ガールを自称してミニシアターへ通う日々を送っていた私は、ある映画のフライヤーと出会いました。
それが、この「眠り姫」

この写真は、昨日手に入れたものなんですけど、「眠り姫」の初映時のフライヤーもあります。真ん中くらいにある細長いものがそうです。
そう、ふつうのサイズのフライヤーじゃないのよ。
そこも惹かれた理由。

このフライヤーに何かを感じた私は、帰宅するなりすぐにオフィシャルサイト (音が出るので注意。)にアクセスしました。

オフィシャルサイトもまたツボにハマるようなミニマルなデザインで、私は『この映画は絶対に観に行こう…!』と決意したのでした。

で も 、 行 か な か っ た ん だ よ ね 。

それが6年前。

なぜ行かなかったのかといえば、単純に、行く機会を逃していたんですね。
そういうことって繰り返すもので、初映から1年くらい経ってアンコール上映があったときも『今度こそ…!』と思って逃したんですよね……。
しかもその後も何度も繰り返して、6年が経過し……でも昨日やっと…やっと観られたのです…!

観て良かった。観られて本当に良かった。

鑑賞から24時間ほど経っていますが、いまだに感想をうまくまとめられません。
……というよりも、この作品の感想を言語化するのはかなり難しいと思います。
ただひとつ言えるのは『すごいものを観てしまった』ということだけ。

映画なのに、人物が映ることは殆どなく、人の気配があるのに孤独を感じさせる映像と、美しくも不安をかきたてる音楽に、少しだけセリフがのって物語は進んでいきます。
実験的な映像もものすごく多くて、それはたとえば落ちていくピンポン玉だったり、けぶる景色の中を歩いていく誰かの姿だったりするんですけど、それらが何を暗示しているのか、一切回収はされません。
だから、辻褄の合わないものが好きではないひとには絶対に薦めません。

作品からかんじられるのは、唯ぼんやりとした不安なのです。
唯ぼんやりとした不安………分かるひとには分かる、芥川の遺言。

この作品、原作がちゃんとあって、それは山本直樹の同名の漫画「眠り姫」なんです。
で、この「眠り姫」というのが、内田百閒の「山高帽子」という作品をベースにしているらしく。
そして、内田百閒は「芥川龍之介雑記帖」というものを記しているほどに親交があったわけで……。
そういった原作のつながりの話などを見て、七里監督はいろいろ織り込み済みで「眠り姫」を撮ったのかなぁ、と思いました。

うまく言葉にできない気持ちに襲われるし、どうしようもなく不安にもなるし、しまいには意味なく泣きたくなってきたりもするんですけど、それでももう一度観たいです。
いや、もう一度と言わず、何度も観たいです。
与えられる不安感とか焦燥感も、実験的な映像も、他の映画では味わうことはできない類いのものだと思うのです。

この作品、本当に根強い人気があります。
だから、毎年のようにアンコール上映をしているんですよ。
つまり、観る機会はけっこうある!!!
ちょっとでも興味を持ったら、ぜひ行ってみてほしいです。
私がどんなに言葉を尽くしても、この作品の魅力は1%も伝わらないと思うから……。
本当に、自分で観て、感じるしかない作品だから……。